8月15日は終戦の日ですね。
この特別な日については、みんな色々な想いがありますよね。
僕の場合は父が長崎出身ということもあり、幼い頃に父と一緒に長崎原爆資料館に行った憶えがあります。
父と原爆資料館に行ったのは数十年前のことで、その時に父が何を言っていたかは憶えていません。
でも幼い僕を連れて行ったのには何か理由があったわけで、きっと戦争の恐ろしさを伝えたかったんでしょうね。
僕は仕事柄、戦争経験者と話をすることが多々あります。
十代前半から国のために北海道に行って労働をしていた方、両親を亡くして畑の物を盗まないと生きていけなかった方...
今の時代じゃ考えられないことを色々教えてくれました。
父や戦争経験者の方々など、僕は多くの方から戦争の恐ろしさを教えてもらう機会がありました。
でも、長崎出身の祖父は何も語りませんでした。
父にも何も語らなかったそうです。
祖父は長崎に原爆が落ちた日、本当なら職場で爆発に巻き込まれていたそうです。
たまたま仕事を休み、それで免れたんだとか...。
もし祖父が爆発に巻き込まれていたら、終戦後直ぐに生まれた父はこの世にはいません。
つまり、それは父だけでなく僕もなんですよね。
この話を一昨日ぐらいに父から始めて聞きました。
祖父はなぜ何も語らなかったのか、いや語れなかったのか...
語るのを躊躇するほどの経験だったんでしょうか。
僕が長崎原爆資料館でみたのは、水を求めて川に飛び込んだ多くの犠牲者の絵でした。
祖父はきっとそれを目の当たりにしたのだと思います。
父や戦争経験者の方々から戦争の恐ろしさを色々教えてもらいました。
でも、“何も語らない”祖父もまた、僕に戦争の恐ろしさを教えてくれたような気がします。